彼岸の入り・秋分の日を経た9月の末でさえも、突き刺すような日差しが肌を刺激してくるな、と思いながら暑苦しい日々を過ごしていたけれど、10月に突入した途端に、あれだけ存在感を誇示していた夏の姿は山陰かどこかへと隠れてしまった。
そしてこんな風に涼しくなったタイミングでは毎年、アンニュイな感情が心の底から顔を覗かせる。
この感情を仲の良い人に話してみては、共感されたり、たまにされなかったりして、この季節を通過する。
このアンニュイな感情の正体は何なのだろう? これから立冬→冬至へと流れる中で、物事が収束していくから? それとも、馬鹿みたいな気温が秋の気温に落ち着くのと同時に、燃え盛っていた感情も冷静さを取り戻してくるから?
みたいなことをここ何年か軽く考えつつ、答えは無理に出さずに放置している。
答えを無理くり求めたり調べたりしないまま、手元で弄ばせることは、楽しい。
だから、この時期にちょっぴり寂しくなる感情は来年からも続いていくはず。
こんな感情を体験する季節でも、多趣味な俺にはもちろん楽しみにしていることが数えきれないほどあって、それは例えば、茶の香りや暖かさがより体中を駆け巡るようになることだったり、柿や栗の季節が到来することであったり、ストレートのウイスキーで暖を取れるようになることであったり、汗ダラダラにならず快適に山登りができるようになることだったり、山遊びの時に蚊の襲撃を受けることが無くなることであったり、モミジの葉がオレンジに変化する季節がやってくることであったり、ハードコアな音楽が心地良くなることであったり、大好きな人とくっつき合って過ごしたくなることであったり。
こうして大好きなことを目一杯楽しみながら自分の世界観を広げつつ、まだまだ寒さ耐性の低い沖縄式の身体が九州の寒さに慣れていけば良いなと思う。
そしてまた、セッコクが来春に備えて秋から花芽を創り始めるように、自分もまた未来の開花に備えて色々なことを思考して仕込んでいきたい。
そう思った10月の始めだった。