もくじ
はじめに
サイトを見に来てくれたみなさん、こんにちは!
MELIAMANNA(メリアマナ)代表の有吉です。
MELIAMANNAとは、大学院で植物学について学んだ代表が”衣食住”に植物を取り入れた暮らしを楽しみ、追求することをテーマとして活動しているサイトです。
今回の記事は、読書日記シリーズ。
石井吉彦さんという、現在は大分県の国東半島で自然農を実践されている方の著書『まず種から始めよ』を読んでみました。
というのも、田舎の親戚が「畑使っていいよー」と言ってくれたのをきっかけに、2024年の春から自然栽培に近いスタイルで野菜作りに挑戦してみているのですが、それを始めるにあたって以前から畑をやっている知人の所まで援農に行った時、とりあえず読んでみてと渡してくれたのが、『まず種から始めよ』を手にしたきっかけです。
この記事では、『まず種から始めよ』の面白かったポイントや読んでみた感想に加え、「自家採種で野菜の種子を次世代に繋いでいく時、そこでは何が起こっているのか!?」という、自家採種の本質に近づけたかもしれない話についても書いてみることにします。
では早速!!!
『まず種から始めよ』で興味深かったポイント
まずはじめに、著者である石井吉彦さんについて簡単に紹介した後、この本で興味深かったポイントを僕なりに紹介してみますね。
著者の石井吉彦さんについて
僕自身、著者である石井吉彦さんの存在については、今回知人から本をお借りしたタイミングで初めて知りました。そこで本の末尾に載っていた著者プロフィールを眺めてみると、元々は自然農法の農産物を主とする自然食流通会社に長年勤めていらした方で、’90年代末を皮切りに、ご自身でも種からの栽培にこだわる生産者ネットワーク作りや、種からこだわる無農薬・無肥料栽培をテーマにした養成講座の開講、などといった活動を行なわれているようです。
現在は大分県の国東半島に移住され、「種と土と野菜の学校 石井ピュアファーム」という屋号で固定種・無肥料・無農薬栽培の野菜を作る活動をされています。援農の募集やセミナーの開催も行なっていらっしゃるので、せっかく同じ九州に住んでいることだし、僕も近いうちに予定を立てて学びに伺ってみたいところです。
YouTubeには、石井さんの活動の核となる考え方をお話しされている動画もありましたので、興味のある方はぜひご覧になってみてください。動画の中だけの印象ですが、すごく物腰が柔らかいながらも、ご自身の核とビジョンをしっかりと持ちながら活動されているんだな〜という印象を持ちました。
著者について紹介したところで、お次は本の中で個人的に興味深かったポイントについて紹介していきますね。
普段私たちはこんな野菜を食べている
石井さんが、現代日本で行なわれている農法のうち大半を占める慣行農法(化学肥料と農薬を使用する農法)に対して問題意識を持ちながら、固定種・無肥料・無農薬栽培を実施されていることもあり、この著書の中では日本の慣行農法において
「どこから来て、どのような処理がなされたタネが使われているか?」
「どのくらいの頻度で、どのくらいの量の化学肥料や農薬が使われているか?」
「化学肥料や農薬が、農地の環境に対してどのような影響を与えるか?」
といったお話が度々登場してきます。
僕自身これまでに様々なジャンルの科学書を読み漁ってきたこともあり、例えば
・山田正彦著『タネはどうなる?!』に書かれている日本の種苗法・種子法問題
・レイチェル・カーソン著『沈黙の春』に書かれているような農薬問題
などについては、ある程度の基礎的な知識は持ち合わせているつもりでした。
しかし今回『ます種から始めよ』を読んでみて、心身を継続して整えていく上で根幹となるはずの”食”に対する自分の知識は、まだまだ浅いことを知りました。”食”の中でも特に、どのように管理・栽培されてきた野菜が食卓に並んでいるかという点が。
特に印象に残った節をいくつか引用してみると…
◎種子に関する内容
・日本の有機農産物に対しても、有機種子の使用が推奨されてはいるのですが、「入手不能な場合は」その他の種子でもよいということになっています。実際には日本に有機専門の種苗会社はなく、市場にも流通していないので、仕方なしにF1の種を使っている農家が数多くあります。
・今ではほとんどの種が、「種子消毒」という名で農薬につけて出荷されます。◎農薬に関する部分
・農水省の指導のもと、千葉県が定めている2011年の農薬適正使用量(回数)によれば、トマトの農薬使用回数は58回、きゅうりは76回、ピーマンが56回となっています。農薬を使う回数の多い野菜をあげましたが、栽培期間を考慮しても、多いものは2~3日に1回は撒かれている計算となります。
・このネオニコを使って栽培されたお米、野菜や果実などの農産物が、実は「特別栽培農産物」と表示されて売られていることがあります。特別栽培農産物は農薬の使用回数(量)を地域の基準以下にしたもので、普通は減農薬として喜ばれているのですが、ネオニコは地中に1年以上残るという報告もあるくらい残存性が非常に高いので、散布回数を減らしても効力が衰えず、使用量を減らしても大丈夫だからです。◎化学肥料に関する部分
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・現状は過剰なまでの肥料の使い過ぎによって、土は本来の健康を損なって疲弊し、食卓にのぼる野菜にも残留した窒素分が硝酸態窒素となって残り、人体にも被害をもたらすとして心配されているのです。
・近年、無農薬野菜として歓迎されている「水耕栽培」の野菜にも、硝酸態窒素がたっぷりと含まれています。〜途中略〜 無農薬は嘘ではありませんが、生育期間中ずっと液肥漬けで育てたことはどこにも書いてはありません。
・動物性堆肥を多用する有機野菜にも、硝酸態窒素が残っている場合があります。
現状の日本では、農法のほとんどが慣行農法であることを鑑みると、近所のチェーンのスーパーやJAの直売所などに並んでいる作物の出どころを辿っていけば、それらの大部分が上記のような状態にあると考えられますね。もちろん、高温多湿で病害虫の発生しやすい日本において安定して食卓を支えていくためには、慣行農法というアプローチも必要かとは思いますが。
こんな現状を知った時、どのように行動するかは全くもって個人の自由なんですが
・農家が農法を自由に選択できるだけの知識や環境
・口に入れる作物を消費者自身で自由に選択できるだけの知識や環境
ぐらいは残しておく必要があると、個人的には考えます。
生産者・消費者ともに、知識を吸収したり環境を整えたりすることを怠ってしまい、手元に選択肢が存在していない状態はあまりにも惨めだと思うので。
で、今回『まず種から始めよ』を読み、”作物の出どころ”に関する知識を習得した自分自身は今後どのような道を選択したいかというと
・種子、農法、土づくりを自分らで管理しながら作物を作ってみたいな。
・そのようにしてできた作物を口に入れる割合を少しずつ増やしていきたいな。
というのが本音です。もう、できるだけ自分達で作る方向にシフトしちゃおうよと。
本当に幸いでありがたいことに、「畑使っていいよー」なんて奇跡のような言葉をかけてくれる親戚がいたりして、下地は十分に分厚いと思うので、あとは頭を捻ってどんどん実践しながら、失敗から大いに学んでいくだけですねー。楽しみながら、そして真剣に!
そして”食”に対する数多もの選択肢が存在している現代において、自分らで作物を栽培するという道をわざわざ選ぶ理由はごく単純で、
You are what you eat.
(ヒトは食べたものからできている)
だから。
身体の軽さ加減とか、肌・爪・髪の毛の調子とか、脳の働き加減とか、集中力の具合とか、メンタルがクリアかどうかとか、その他諸々も含めて、自分の心身を構成しているほとんどのパーツは、自分が今までに口にしてきたものの影響を大きく受けると感じているから。
『まず種から始めよ』で、現代の農産物を取り巻く事情について詳しく記載されているのを読んで、より安心して口にできる食べ物を、少しでも自力で確保していくための知恵や経験を身につけておきたいよな〜と、改めて感じた次第です。
自家採種の本質に近づけたかもしれない話
さて話は変わり、ここからは自家採種の本質に近づけたかもしれない話について。
石井吉彦さんをはじめとした自然農を実践されている方々は、固定種を栽培しながら自家採種を行なわれている場合が多くあります。実際に『まず種から始めよ』の中でも、自家採種に関して言及されている場面が多く登場しました。
そこで今回、『まず種から始めよ』読み、石井吉彦さんが自家採種を通してやろうとしていることを自分なりに汲み取りながら、「自家採種で野菜の種子を次世代に繋いでいく時、そこでは何が起こっているのか!?」というテーマで考察してみることにします。
最も興味深かった自家採種の話
『まず種から始めよ』では、自家採種という言葉が頻繁に登場しますが、その中でも特に興味深かった箇所はこちら。
「石の上にも三年」というごとく、同じ作物を繰り返し作り、そこで自家採種を繰り返せば繰り返すほど、その場所の情報が種にインプットされていき、連作に合う種になっていきます。
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なんと、畑の同じ場所で何年も繰り返し同じ品種の作物を栽培することで(連作)、その畑の情報が作物の種にインプットされ、作物は畑の環境に適応するように変化していくというのです。またここでは「連作に合う種になっていく」という表現がなされていますが、それすなわち、連作しても病気や害虫が発生しにくくなり、収量も安定・増加していくという意味だろうと思います。
実際のところ、本業農家でも家庭菜園でも、作物を栽培する際には連作障害への対策として同じ場所で同じ科の作物を連続して栽培しないというのが基本です。例えば「畑のこの場所で、過去の3年間でナス科の植物を栽培したことがあるから、今年にナス科のトマトを植えるのは別の場所にしておこう」みたいな。逆に言うと「畑のこの場所では、過去の3年間でナス科の植物は栽培していないから、今年はこの場所にナス科のトマトを植えられるな」とも表現できます。つまりは、過去の栽培歴と照らし合わせながら栽培の場所を毎年決める必要があるということ。これ、個人的には超絶面倒臭いと思ってしまいますw
それがですよ、畑の同じ場所で連作を繰り返し、それと同時に自家採種を繰り返せば繰り返すほど、作物はその環境に適応していくと。連作は何としても避けるべきという常識がこびりついていた僕、この文を読んだ時は「えー!そんなやり方もアリなの!」と目ん玉飛び出るぐらいびっくりしました。そんなやり方があるのなら、もっと深く理解して実践してみるしかないでしょう!
そして僕は先ほど引用した自家採種に関する一文を読んだ時、石井さんが自家採種と連作を通して実践されようとしていることや、「自家採種+連作の畑では何が起こっているのか!?」という自家採種の本質に随分と近づけた気がしたのです。
自家採種をした時、そこでは何が起こっているのか!?
ということでここからは、畑の中の同じ場所で作物を種子から育てて自家採種し、連作を繰り返していく過程で何が起こっているのかを
①種子の入手 ②直播 ③苗の成長と結実 ④自家採種
の4段階に分けて考察してみることにします。
少し難解な内容かもしれませんが、細かな正確さは求めず、大まかな内容を分かりやすく伝えることを心がけてみますね!
①種子の入手 (多様性を持つ種子)
例えば、ある作物の一品種の種子を数十粒、あるいは数百粒入手した際、この数多ある種子の間には遺伝的な形質の多様性が存在していると考えます。
ここで言う形質の多様性とは、病害虫・細菌・ウイルスへの耐性、過剰な暑さや寒さへの耐性、過度な降雨や湿度への耐性、乾燥への耐性、土壌の酸性orアルカリ性への耐性、雑草への耐性、収量、味、などのこと。全部挙げるのはキリがない、というか不可能なんじゃないかとも思います。そしてこれはもちろん「耐性がある or 耐性がない」みたいな二極性の話ではなく、「耐性がどの程度あるか」というグラデーション的なお話です。
(このような形質の多様性が生まれる原因としては、他家受粉で他固体と交配したこと、種子ができる過程で遺伝子の突然変異が起きたこと、などが挙げられると思いますが、話の本流からは外れるのでシカトでもかまいません!)
②直播 (畑の環境によって選抜される種子)
このように多様な遺伝的形質を持つ種子を畑にバラッと直播(じかまき/ ちょくはん)すると、正常に発芽してくる種子もあれば、発芽しないままダメになってしまう種子もあります。
この時正常に発芽した種子は、持っている遺伝的形質がその畑の環境に適応していたため、発芽できたと考えます。
それは例えば、そこの土壌に潜む病原菌に対して耐性があったため、病気が発症せずに発芽できた、みたいな話。
あるいは、その場所は地理的に種まき適期でも冷え込みやすいが、寒さに耐性があったため、低温にやられずに発芽できた、みたいな話。
逆に正常に発芽できなかった種子は、持っている遺伝的形質がその畑の環境に適応していなかったため、発芽できなかったと考えます。
それは例えば、そこの土壌に潜む病原菌に対して耐性がなく、病気に負けてしまって発芽できなかった、みたいな話。
あるいは、その場所は地理的に種まき適期でも冷え込みやすく、寒さに耐性がなかったため、低温にやられて発芽できなかった、みたいな話。
(発芽できない理由には、播き時が適切でなかった・覆土しすぎた、などの人為的な要因も考えられますが、今回はそれはなしで!)
③苗の成長と結実 (畑の環境によって選抜される作物)
正常に発芽した種子が成長期に入ってからも、まだまだ試練は待ち受けています。
畑の環境や気候条件などによって種類や勢いは異なりますが、そこに潜んでいる、病原菌による感染・害虫からの食害・雑草の侵略、などといった影響を大いに受けることになります。
そして、その畑特有の病原菌・害虫・雑草などに打ち勝つことのできる遺伝的形質を持っていた個体のみがぐんぐんと枝葉を伸ばして成長することができ、最終的に開花・結実することができます。
(病原菌・害虫・雑草などの影響で収量がグンと落ちてしまうことは避けたいので、ある程度は人の手によってこれらを抑える試みも必要であると考えています。)
④自家採種 (人間の手によって選抜される種子)
ここにきてやっと、作物は次世代へと向けて種子をつけることができます。
今まで見てきたように、種子を播いた畑の環境に適応できた作物の個体のみが結実して種子を残すことができるので、ここでできた種子は、その畑に適応した遺伝的形質を多く含むことになると考えます。
(ただし①入手時で触れたように、種子の生産時には、他家受粉による他固体との交配や、遺伝子の突然変異などが起きることもあるので、種子には再び多様性が多少なりとも付与されることになります。)
そして作物にとっての最後の試練は、人間の手。
畑の環境に適応した種子を残すのはもちろんのことですが、やっぱり収穫して美味しく食べることが目的なので、味が良くて、収量が多くて、色や形が綺麗だった個体を人間が選んで自家採種して、来季の種播きに向けて種子を保存しておきますよね。
そしてこの4段階のサイクルを何年も何年も繰り返していくことでで、その畑に適応した遺伝的形質の純度が次第に高まっていくと考えます。
まとめ
以上のように、畑の同じ場所で「自家採種+連作」というスタイルで作物の栽培を繰り返した場合には、作物の種子が元々持つ多様な遺伝的形質から、その畑に適応した遺伝的形質が選抜されていくのではないかな、と僕は考えました。
石井さんは『まず種から始めよ』の中でこの現象を、「その場所の情報が種にインプットされていき、連作に合う種になっていきます。」のように表現されていましたが、インプットされるというよりかは、選抜されていくという表現の方が個人的にはしっくりくるなと感じました。もし言葉の通り、インプットされるようなことが本当に起きていればとっても面白いけども!
そしてこれは言い換えると、自然界における自然淘汰を畑で人為的に行なっているとも表現できるのかなと思います。
自分の畑の環境に適応できる遺伝子を数世代かけて選抜していく。そのためには、適応できない遺伝子を容赦なく蹴落とす必要がある。だからこそ、自家採種した種子を毎年使い、畑の土に直播し、同じ場所で連作する。
これこそが、石井さんが自家採種と連作を通して試みていることであり、自家採種の本質なのではないかと考えました。
さいごに
最後まで記事を読んでいただき、ありがとうございました。
自家採種に対する僕の考えが正しいのか間違っているのかはさておき、「自家採種+連作」というスタイルで作物を栽培すると、収量が安定・増加し、病害虫が発生しにくくなるということを僕が多くの場所で見聞きするのは紛れもない事実。
連作はダメという常識が身に染みているので、連作に踏み出すにはなかなか勇気が入りますが、先人たちの言葉を信じて試行錯誤しながらトライしてみることをここで決心しました!
『MELIAMANNAの菜園』と題した連載では、自然栽培スタイルで菜園に挑戦している様子を発信していますので、こちらもぜひチェックを。
参考にした情報
*1 石井吉彦, 2012. まず種から始めよ からだと地球を癒す種と土と野菜の本. 株式会社ココロ, 東京, 191pp.